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千葉地方裁判所 昭和38年(た)1号 決定

請求人 小高喜久夫

決  定

(請求人・弁護人氏名略)

右請求人に対する強盗殺人、窃盗被告事件について昭和三〇年七月六日千葉地方裁判所が言渡した判決(同三三年一二月二七日東京高等裁判所において事実取調の上控訴棄却の判決、同三八年二月二一日最高裁判所において上告棄却の判決、同三八年三月五日同裁判所において判決訂正申立棄却の決定)に対し、同人から再審の請求があつたので、当裁判所は弁護人並びに検察官の各意見を聴いたうえ、つぎの通り決定する。

主文

本件再審請求はこれを棄却する。

理由

第一、再審請求の事由

請求人は昭和三〇年七月六日千葉地方裁判所において「被告人は昭和二九年二月一七日午后九時頃成田市駒井野無番地物品販売業実川ふさ方において予てより同女の店に出入して同女と面識ある間柄であつたところから、同家七畳間の炬燵に入つて雑談していたが、同女が就寝した隙を窺い、傍の押入の襖を開けて行李の中から現金約八百七十円を窃取し、尚も物色せんとしたところその物音に目覚めた同女にその現場を発見され、何をするんだと詰問されたので、勘弁してくれと謝つたが、同女が聞き入れず怒つて大声を出し始めたので、同女を寝ていた隣五畳間に押し倒し、右犯跡を湮滅するため同女を殺害せんものと決意し、矢庭に所携の竹割(昭和二十九年領第一六九号の一)にて同女の頭部、顔面等に斬りつけ、因つて同女をして頭部打撲による脳障害により間もなく死亡するに至らしめた」旨の強盗殺人罪及び九個の窃盗罪により無期懲役刑の言渡を受け、右判決は「前文」において記載した如き経過により確定したものであるが、原判決確定後右強盗殺人罪につき無罪の言渡を受くべき明らかな証拠を次の通り新たに発見したものである。

(一)  先づ原判決は兇器を「竹割」と認定しているところ、原判決確定後札幌医科大学八十島信之助教授を新たに知り、昭和三八年二月二二日付、同年三月二六日付、同年六月二六日付各書翰(計三通)並びに昭和三九年一月二八日付「三里塚事件における兇器についての意見書」と題する書面(以下八十島教授書翰及び意見書と略称する)を新たに入手するを得たが、八十島教授書翰及び意見書は「本件兇器は竹割ではあり得ず、焼鏝様のものである可能性が強い」旨を内容とするものであり、右八十島教授書翰及び意見書によれば原判決の兇器が竹割なる旨の認定は覆らざるを得ず、兇器として竹割を使用した旨の請求人の司法警察員並に検察官に対する各供述調書もその任意性と信憑力を失い請求人に無罪を言渡す他なきに至るべきものと信ずる。

(二)  次に原判決は請求人の「犯行後請求人は被害者方より東方三里塚に向つて小走りに歩行し三里塚牧場を経て南西に方向を転じ成田バス根木名停留所附近に至り自宅に帰つた」旨の司法警察員並びに検察官に対する各供述調書を採用し、請求人の有罪を認定しているが、原判決確定後請求人は昭和三五年一〇月三〇日付国土地理院発行「成田」地区五万分の一地図を新たに発見した。右地図によれば、被害者方より三里塚を迂回して根木名所在の請求人方に至る距離は、被害者方より畑田部落を経て請求人方に至る距離の二倍以上であることが判明したが、元来請求人は被害者方近くの多古農業高校遠山分校の生徒として畑田を経由して通学していたもので、畑田経由の道は通いなれた道であり、且三里塚迂回の道より二分の一以下近距離であるから、請求人が本件犯人なるにおいては、前記の如き三里塚迂回の道をとる筈はなく、しかも本件犯行当時被害者方の隣人大宮正一郎(被害者方より見て三里塚側所在)が用便のため戸外に出たことがあり、犯人はおそらくその物音を聞いていた筈であるが、右大宮正一郎によれば、その後被害者方より右大宮方の前を三里塚方面に向つた犯人の足音を聞いたとのことであるが、請求人が犯人たるにおいては、何も好んで前記の如き戸の物音がした大宮方の前を通つて三里塚方面に道をとる必要はない。右の如く、大宮方の物音、通学の道が畑田経由の道であることに加えて、右の如く新たに発見した地図により判明した距離関係を考え合わせると、請求人の前記供述調書はその任意性、信憑力を失い請求人に無罪を言渡す外なきに至るべきものである。

(三)  次に原判決を支持した控訴審判決は請求人の「二月一七日夕方成田市内所在平和パチンコ店に働く友人小倉好を訪ね、同人と共に成田バス成田駅九時五分発のバスに乗車し右小倉は大和にて下車し請求人は根木名で下車した」旨の所謂アリバイの主張を排斥し、その排斥の理由として「請求人は逮捕以来司法警察員、検察官に対しかかるアリバイを主張したことなく、右アリバイの主張は第一審の公判開始後において始めて為されたものである」ことを挙げているが、原判決確定後新たに、当時請求人を取調べた司法警察員巡査部長野口昇の当時メモとして使用した「遠山村大清水における老婆強盗殺人事件記録」と題する捜査手控帳の写真を発見したが、右写真によれば、請求人は逮捕直後より右のアリバイを主張して居り、右主張にもとずいて右野口司法警察員において小倉好につき右アリバイの取調をなしたところ、右小倉は二月一七日夕方請求人が平和パチンコ店に来訪し、午後九時五分頃成田駅発成田バスで共に帰宅した旨答えた事実が判明した。かくの如く、右写真によつて、請求人が逮捕直後からアリバイを主張したにかかわらず捜査官においてことさら右アリバイの主張を録取しなかつた事実が判明したのみならず、右アリバイそのものが明らかに証明されるに至つたものであり、請求人に無罪を言渡すべきこと明白であると言わねばならない。

(四)  次に右控訴審判決に、右アリバイの主張を排斥する理由として「小倉好は雨の降つていないときは自転車を利用するが、雨の際はバスを利用しているものなるところ、右小倉が請求人と共に午後九時五分頃成田駅発バスで帰宅したのは、雨が降つていたからであり、その時刻頃雨が降つていた日は二月十六日である」ことを挙げている。然し原判決確定後新たに昭和三八年七月四日付銚子地方気象台作成の証明書を発見したが、右証明書により二月一七日も雨が降つていた事実が判明したばかりでなく、前記野口巡査部長の捜査手控帳の写真と合せ考えると、請求人のアリバイの主張を裏付ける上において証拠価値を著しく高めたものであるから、この意味において請求人に無罪を言渡すべきこと明らかなしかもあらたな証拠を発見したものであると言わねばならない。

右の如く右証拠はいずれも刑事訴訟法第四三五条第六号に該当するので、ここに再審の請求をなすものであると言うにある。

第二、当裁判所の判断

そもそも刑事訴訟法第四三五条第六号に言う証拠たるためには、新規性及び明白性を有する証拠であることを要するものと解される。

(一)  先ず第一の(一)の八十島教授の鑑定が新規性ある証拠であるかどうかについて審案することとする。

およそある鑑定が新規性ある鑑定と看做される為には鑑定の代替性の故にその鑑定がある問題点について原判決の基礎となつた鑑定と結論において相異なる鑑定であることのみではいまだ十分ではなく、その鑑定が従前の鑑定結果を覆すに足る新たな基礎資料又はこれまで規準的と看做されている経験法則を動揺せしめるに足る新たなる経験法則を有することを要すると解すべきである。

そこで原判決確定前創傷、骨折、兇器についてどの様な鑑定が、どの様な基礎資料にもとずいてどの様な経験法則を適用して行われたかを顧みることにする。第一審においてまず「竹割」(二五、五四丁)が提出されると共に、鑑定人宮内義之介助教授(千葉大学)作成の鑑定書(二九、五一、六四、一四八丁)(同助教授は被害者を解剖したものであつて、右鑑定書には、被害者の創傷、骨折の部位、程度の記載が存すると共に「兇器は稍鈍な刃(或は鋭稜)を有し相当の重量であつて、或は鈍先端を有するものではないか」との推定が存し、創傷、骨折の部位、程度に関する図面四葉、写真六葉が添付されている)が提出され、次いで裁判所の職権により鑑定証人として右宮内助教授の尋問が行われ(五二六、五六〇丁)(被害者の創傷、骨折は竹割により生ずる可能性ある旨の供述が存する。)被害者の頭蓋骨が提出され(九〇〇丁)控訴審に至るや、弁護人より被害者の創傷骨折は如何なる兇器により生じたるものなりや等につき、再鑑定の申請があり(一、一六七丁)裁判所より選択され、鑑定を命ぜられた鑑定人古畑種基教授(東京医科歯科大学)作成の鑑定書が提出され、(一二二七丁)(被害者の創傷骨折は竹割により生ずる可能性ある旨並びにアムスラー万能測定器を使用して、右竹割による創傷骨折の発生状況について実験した結果の詳細の記載あり。頭蓋骨等の写真一七葉、竹割の写真二葉、創傷、骨折の部位、程度に関する図面六葉添付)検察官、弁護人双方申請の宮内助教授を証人として再尋問(一二五四、一二七六丁)(特に宮内鑑定書中被害者の(ハ)(ト)(イ)の創傷、骨折は竹割の先端によく一致する旨の供述あり)が行われ、古畑教授より「鑑定補充書」(一三〇一丁)(被害者の創傷、骨折は竹割によつて生ずる可能性ある旨の記載ありアムスラー万能測定器の使用を撤回しレンガ落下法使用)が提出され、検察官より「古畑鑑定人に対する尋問事項書」(一三九八丁)が弁護人より「尋問事項通知書」(一三九七丁)「古畑教授に対する尋問事項書」(一三九九丁)が提出され、検察官、弁護人双方申請により古畑教授を証人として尋問(一三七九丁)(同教授は「弁護人及び検事の尋問事項に対する回答」と題する書面の通り供述し、その中において、「本件被害者の傷の内少数の皮下出血だけの部分を除き、その他の開放創またこれに伴う骨折などは、すべて一個の兇器によるものとして充分説明でき、竹割は兇器たる可能性ある旨の供述あり)が行われ、弁護人は「被害者の傷と兇器に関する意見書」(一三二四丁)(竹割は兇器たり得ず、焼鏝が兇器たり得る旨の記載あり、創傷、骨折の部位、程度を示す写真一八葉、肋骨図面一葉、竹割の写真三葉、焼鏝の押型一二個、肋骨模型写真一葉、肋骨模型に鏝をあてたる写真一葉が添付されている。)「古畑種基(鑑定)証人に対する追加尋問事項」(一四一〇丁)が提出され、千葉県警察本部鑑識課長より現場写真キヤビネ原板一六枚が提出され(一四〇五丁)弁護人より「正木弁護人の意見書の補足」(一四四二丁)(鑑識課長提出の写真原板一六枚を焼付けたところ、その二枚(被害者の顔面)に鏝の痕跡らしい形状四ヶ所を発見した旨の記載あり、被害者の顔面写真二葉添付)提出され、弁護人申請による古畑教授を証人として再尋問(一四〇九丁)(一四二〇丁の「被告人小高喜久夫に係る強盗殺人被告事件について正木弁護人提出の意見書及び追加尋問事項に対する回答書」の通り供述、右回答書には兇器の尖端の軌跡の図面一葉、肋骨写真一葉が添付されている。被害者の前胸部の骨折は足などで踏みつけたためにできたものではないかと思うが、その他の創傷については、竹割は兇器たる可能性あり、特に、被害者の(ト)(ヘ)(リ)(ワ)の各創は鏝では到底できないと思う、との供述あり。)が行われ弁護人より「古畑鑑定人の最終回答書に対する正木弁護人の意見書」(一四六〇丁)「古畑氏の最終回答書に対する意見の補充書」(一四六八丁)(被告人が竹割を持つた写真二葉添付)が提出され、裁判所の職権により鑑定を命ぜられた鑑定人上野佐教授(日本大学)(一四〇八、一四五二丁)作成の鑑定書(一四七三丁)(鑑定事項は、本件被害者の傷害は何如なる兇器により惹起され得るものか、竹割によつて惹起され得るか、鏝様のものにて惹起せられ得るか、本件においてその傷害を惹起したと推定せられる具体的物件ありや、若しありとせばそれは何物なりやであり、同教授は裁判記録四冊、頭蓋骨、竹割、鏝、レンガ、写真原板、フイルムを受領している。鑑定書には本屍の傷害は前胸部の傷害を除いてほぼ同一の兇器によつて生前形成されたもので、竹割にて形成される可能性がないとはいえない、焼鏝を以つて本損傷ができぬことはないが、その可能性は前述の竹割より低いと考える旨の記載があり、写真三葉が添付されてある)が提出され、弁護人より「上野鑑定人に対する尋問事項」(一七〇一丁)が提出され右鑑定書中不明瞭なる点につき弁護人申請により上野佐教授を証人として尋問(一六六五、一七〇八丁)(調書には同教授が竹割をもつている写真三葉添付)が行われ、弁護人より「正木弁護人の意見書の補足(その三)上野鑑定人の鑑定書を見て」(一七一九丁)(竹割の写真四葉、ものさしの写真三葉、頭蓋骨の写真三葉添付)の提出があり、更に上野佐教授の証人尋問を続行(一七〇七、一七三二丁)(一七五八丁の「弁護人尋問事項に対する回答書」と題する書面通りに供述した分を含み、主として本件竹割は兇器でなく、焼鏝またはそのようなものが真の兇器ではないかとの弁護人の反問に対し、焼鏝による蓋然性は竹割による蓋然性より低い所以を供述且実演し、頭蓋骨に竹割をあてたる写真三葉、実在人間の側頭部等に竹割をあてたる写真四葉、実在人間の腕に竹割をあてたる写真一葉添付)が行われたものである。これによつて見れば、従前の鑑定の基礎資料としては基本的には竹割、頭蓋骨、鏝、レンガ、宮内助教授作成の創傷、骨折の部位、程度等に関する鑑定書、鑑識課長提出の写真原板があり、それに加えて附随的に記録中の諸資料が存することが認められる。又その適用された経験法則については、創傷、骨折の部位、程度そのものより、可能性ある兇器を推定すると言う比較的医学的見地にたつた一般的な法医学的経験法則と、その他に本件竹割によつて本件骨折が力学的に生ずる可能性ありやについての比較的物理学的見地にたつた一般的な法医学的経験法則であることが認められる。

ここで八十島教授意見書を見るに、右意見書は、同書第一章文中の記載によれば、第一審記録(写)四冊、第二審記録(写)三冊、正木弁護人所蔵の多数写真、市販の和服裁縫用鏝を基礎資料として作成されたものなることが認められるところ、右基礎資料は従前の鑑定人のそれと同一であり従前の鑑定結果を覆すに足る新しき基礎資料は何も認めることはできないと言う他はない。因みに八十島教授が竹割、頭蓋骨の現物を基礎資料となし得なかつたことは明らかに認められるが、それらについては同教授が基礎資料とした記録中に幾多の写真記載が存するものであるから、資料として欠けるところはなかつたことが認められる。尤も右八十島教授意見書中の「左前頭部の創傷に関する『創縁、創面、創角はいずれも鈍』」の記載(右意見書三丁表)は宮内助教授作成の鑑定書中の該当部分((イ)創)の「創縁、創面、創角ともに鋭」の記載(一五四丁表)と相異なり、又右八十島教授意見書中の「右頬部の創傷に関する『創縁、創角やや鈍、創面鈍』」の記載(右意見書二〇丁裏)は、宮内助教授作成の鑑定書中の該当部分((ワ)創)の「創縁、創角やや鋭、創面鈍」の記載(一五五丁裏)と相異なるものがあり、又八十島教授意見書中の「助骨々折に関する『右第四肋骨は胸骨端から約四糎、約五糎、約九糎の場所』」の記載(右意見書二一丁表)は宮内助教授作成の鑑定書中の該当部分の「第四肋骨は胸骨端より約四糎並五・〇五糎、右第五肋骨は胸骨端より約五糎並約九糎の部に於て夫々骨折」との記載(一五六丁表)と相異なるものがあるが、被害者を現実に解剖したものは宮内助教授であることに鑑みれば、右八十島教授意見書中の右肋骨骨折に関する記載は同教授の判断の誤謬と認める他はなく、また右(イ)創(ワ)創に関する八十島教授の記載は、その表現自体より宮内鑑定書中の該当部分の単なる誤記に過ぎないことが認められるにしても、少くともこの(イ)創(ワ)創に関する誤謬が、八十島教授をして従前の鑑定と相異なつた鑑定結果をもたらしめた要因の一と思料される。

次に八十島教授意見書によれば、同教授が有し適用すべき経験法則は創傷、骨折と兇器に関し比較的医学的見地に立つた一般的法医学的経験法則に他ならず、従前の宮内助教授、古畑教授、上野(佐)教授の有し適用したる経験法則と同一でありこれまで規準的と看做されている経験法則を動揺せしめるに足る新たなる経験法則は何も認めることはできないと言う他はない。果して然らば八十島教授の鑑定はいかなる意味においても新規性ある鑑定に該当しないと言う他はない。

(二)  次に第一の(二)の地図につき考察するに、原判決確定前現場附近の検証は第一審において二回(二五七、四八四丁)控訴審において一回(一〇四六丁)行われて居り、特に第一審における第二回目の検証調書(四八四丁)添付の見取図には被害者方、三里塚、根木名部落の位置関係が明示してあり、畑田部落の位置も右検証調書の記載および第一審における第一回目の検証調書(二五七丁)添付の見取図に徴すれば明白である。しかも、問題の被害者方から畑田部落経由の根木名部落所在の請求人方までの距離と、被害者方より三里塚部落廻り請求人方までの距離の遠近の比較は、以上の諸記載並びに見取図によつて自ら判然していると言い得る。然らば右見取図と同一内容を有する右地図は何等の新規性を有しないと解せざるを得ない。

(三)  次に第一の(三)の司法警察員巡査部長野口昇の捜査手控帳の写真について考察する。控訴審において右野口巡査部長に対して検察官申請により証人尋問が行われた(一五二九丁)がその中で検察官は小倉好の同巡査部長に対する昭和二九年四月一五日付供述調書(八五五丁これは刑事訴訟法第三二八条により提出された)の「自分は被告人と二月一六日午后九時五分成田発の省営バス七栄廻りで二人が帰つた」旨の記載のうち「省営バス」は「成田バス」の間違いではないかと尋問しこれに対し右野口巡査部長は「省営バス」の記載は「成田バス」の誤記である旨答え、検察官は右手控帳を示し、右手控帳中の記載について種々尋問し(一五四二丁)その后検察官より右手控帳の写真が証拠物として提出されたものである。(一六六五丁、一六九三丁の二、三)而して今回提出された手控帳の写真は右の写真と全く同一であり、証拠として何等の新規性を認めることはできないと言わねばならない。のみならず右手控帳の写真について、請求人側は控訴審弁論において、「捜査メモ写真によれば証人小倉好は捜査官に対し一人で来た時が九時五分成田発バス七栄廻り多古行で帰つたとのべた。尚同メモには一四日バ(バスの意味)一五日自(自転車の意味)一六日自、一七日バスと書いてあるが捜査の当初より一七日バスで一緒に帰つたことを供述していたものである。事件当日の午後九時頃京成成田バス駅にいたことは明らかで有力なアリバイの証拠である(一八一六丁の一一、一二)旨述べているが、右の弁論は請求人が第一の(三)において主張するところと全く同一であり、この点よりするも右手控帳写真には何等の新規性を認めることはできないと言わねばならない。

(四)  次に第一の(四)の証明書について考察するに、原判決確定前に請求人側は銚子測候所作成昭和三〇年一月一九日付鑑定書(五二七丁)を検察官は銚子測候所長作成昭和二九年四月二一日付気象資料回答についてと題する書面(五三二丁)を各提出しているが、その内容はいずれも問題の三里塚の天候についてはより詳細であり、従つて右証明書にはそれ自体何等の新規性も認められないと言わなければならない。のみならず当裁判所は、原判決確定前に取調べられた証拠が、それに関連するあらたな証拠の発見により、あらたな証拠価値を発見したときは、「証拠をあらたに発見したとき」に該るとの請求人側の法律見解は採用しないところであるが、仮に所論の見解に従い、前記捜査手控帳の写真等と合せ考察してみても、そのために、事件当日における気象に関する右証明書の証拠価値が高まつたとは到底考えられないから、右証明書には如何なる意味においても新規性を認めることができない。

果して然らば、請求人提出の第一の(一)(二)(三)(四)の諸証拠はいずれもその新規性を欠くものと認めざるを得ず、新規性なき証拠は、その明白性を論ずるまでもなく、刑事訴訟法第四三五条第六号に該当しないものと解され、結局本件再審請求はその理由なきに帰するので、同法第四四七条第一項によりこれを棄却せざるを得ない。

よつて主文の通り決定する。

(裁判官 石井謹吾 小室孝夫 杉山修)

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